9時にボニーに声掛けして、その後出かける用事があったので出かけました、お昼の準備などしていると電話がかかってきました。ボニーの容態がおかしい。すぐ病院へ行って酸素吸入をします。呼吸が苦しいのでエコーすると、また肝臓が腫れているとのことです。苦しまないで欲しいので痛みとめをしてもらいました。ボニーは眠ったまま天国へと旅立って行きました。
ボニーは最後何を思ったのかな?
苦しまなかったかな?
置いていったママを恨んでいないかな?
寂しくはなかったかな?
そのままボニーは病院にひきとられて火葬されます。数日後家に帰れます。寂しくはないかな。自由になってママのところまで飛んできてくれないかな。ボニーの声が聴きたいよ
ボニーの頭をなぜなぜしてあげたい。
ごめんねボニー。
最期看取れないのが辛いことだけど、必死に看病し、振り乱して病院に連れて行ってくれた義母の涙に感謝せずにはいられません。
バリショイスパシーバ ママ。
スパシーバ ボニー。ママの愚痴に付き合ってくれてありがとう。ママを外に連れ出してくれてありがとう。ママの最初の家族になってくれてありがとう。いつまでも大好きだよ。
最期の顔が見れないのが心残り。帰ってくるのは10日後です。でも間違いなくボニーだとわかるようにDVDがついてくるそうです。
それを見たらまた泣きそうだけど、心に焼き付けて私も残りの人生ボニーの分まで頑張ろう。そう思う1月29日の午後3時
昨日は旦那の布団が下まで下がっていたそうです。横にしか行かない人なのですけど、もしかしたらボニーがいたずらしに来たのかもしれません。私のところにもいたずらしに来てくれないかな。
まってるよ。
娘も悲しみましたが、最期は私を慰めてくれてました。もう鳥を飼う話をする娘です。
まだ会いたい悲しい気持ち、痛みなく天国へと行けたほっとした気持ち、泣く義母に申し訳ない気持ちで溢れていて、ブログはしばらく休もうかなと思っています。
気持ちが落ち着けば、再開するつもりです。ボニーを応援してくれた皆さん、結局会えずにボニーは旅立ちましたが、いつも優しい言葉に私は、救われていました。
皆さんにもスパシーバ バリショイ。
コメント
楽しかったことも、悲しかったことも全部ひっくるめてボニーちゃんはボニーさんの心の中で、永遠に一緒にいてくれると思います。
ボニーちゃんは穏やかで微笑ましい安らぎを僕らにも与えてくれました。
本当にСпасибо! бони
ボニーちゃん、安らかにお眠りください。急なことでツラいよね・・・物理的な距離は遠くても気持ちは近くに感じていたと思いますよ。
読んでいる内に涙が・・・なんでだろう?年をとって涙腺が緩んだからか?ボニーちゃん、病気と闘って頑張ったね!ボニーママには慰めの言葉以外かけることはできませんが・・・傍に居てあげることが出来なかった気持ち、お察しします。やさしいお義母さまの看病も大変だったでしょう。これからはボニーちゃん、思い出の中で生きていくと思います。ご冥福をお祈りします・・・
(/ω\)寂しい、 ボニーさよなら・・・・・。毎日、ボニーの近況を知ることが日課になってました。病気でもいい、生きててくれるだけでいい、そんな思いで、毎日ブログを閲覧しておりました。 ボニー今度生れてくるときは、健康で、長生きしてね、
読んでいて涙が出てきました。
ボニーママさんが日本へ帰ってから、モスクワの街で、フレンチブルドックの散歩に遭遇するたびに、ボニーかな?と思っていました。
ご冥福をお祈りします。
私この記事見逃してました。ごめんなさい。
さぞかしご心痛の事でしょう。
ボニさんのフガフガ写真大好きでしたよ( ;∀;)
ボニーのご冥福を、そしてボニーの家族さんたちが元気になれますように。
ボニーにコメント下さった皆さんへ
ボニーの事でたくさんの皆さんにコメント頂きましてありがとうございました。今日でボニーが虹の橋をわたって1カ月になりました。ちゃんとしたお別れができず、最後の姿も見れずで、いまだにコメントを頂くと涙が出てきます。まだモスクワに元気でいるような錯覚をしてしまいますが、もういないんですよね。
写真を見ながらいつもしていた鼻ツンツンをして今どこにいるの?と呟いております。じっと見つめられて・・・ごはん?食べてとも呟いておりますw。
モスクワに行ってボニーのお骨を見るまでは何だか信じたくない気もちがあるというのが、実際本当のところです。
お別れって大事。ちゃんとお別れできないところに置いてきた私の自業自得なんですけどね。
気持ちの整理はつきません。
だからお骨はやはり散骨しようかなとも思いましたが、納骨を待ってもらうことにしました。
いついけるのかわかりませんが、きちんとそこでお別れしたいと思います。